日本最大の鉱山跡である佐渡金山は、慶長6年(1601年)開山。採掘中止となった平成元年までの間に約78トンの金と、約2330トンの銀を採掘、産出しました。山頂が真二つに割れた正面の山「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」は、人力で掘られた採掘跡。坑内を巡る4コースのうち、2コースは予約なしでまわることができます。
2017年04月12日
日本最大の鉱山跡である佐渡金山は、慶長6年(1601年)開山。採掘中止となった平成元年までの400年の間に約78トンの金と、約2330トンの銀を採掘、産出した日本最大の金銀山です。山頂が真二つに割れた正面の山「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」は、人力で掘られた採掘跡。坑内を巡る4コースのうち、2コースは予約なしでまわることができます。
日本最大の鉱山跡である佐渡金山は、慶長6年(1601年)開山。採掘中止となった平成元年までの間に約78トンの金と、約2330トンの銀を採掘、産出しました。山頂が真二つに割れた正面の山「道遊の割戸(どうゆうのわりと)」は、人力で掘られた採掘跡。坑内を巡る4コースのうち、2コースは予約なしでまわることができます。
佐渡金山の坑道の長さは、全部合わせると約400kmにもおよび、これは佐渡から東京までと同じくらいの距離。その一部を観光用に整備して公開しています。
予約なしでまわることのできるコースは江戸時代に掘られた宗太夫坑(そうだゆうこう)コース、明治32年から平成元年まで操業していた道遊坑(どうゆうこう)コースの2つ。どちらも30~40分ほどでまわることができます。江戸幕府の財政を支え続けた金山のスケールを坑内体験で体感してみてください!
宗太夫坑コースは江戸初期から開削された手掘り坑道。当時行われた採鉱の進め方を実物大の人形を用いて再現しており、排水、送風、計測など、当時の採金にかける情熱には驚かされます。
リアルな人形が臨場感のあるセリフを語りながら動く様子は、400年前にタイムスリップしたかのようです。
トロッコのレールが続く道遊坑コースは、明治32年に開削され平成元年の操業停止まで使われた近代の坑道です。このコースの途中には、道遊の割戸を間近に見られる絶景ポイントがあります。
トロッコや線路、機械類がそのままの姿で保存されており、佐渡金山の近代化の様子がうかがえます。
山頂が真二つに割れた道遊の割戸は、佐渡金山のシンボル的な存在。山頂部の割れ目は幅約30m、深さ約74mにも達します。
開発当初から採掘が行われた最古の鉱区で、道遊鉱脈という脈幅約10mの優良な鉱脈を持つこの場所は、明治時代以降も真下で大規模な開発が行われていました。
金を掘るために人力で山を穿(うが)ったという事実に圧倒される光景です。
第1展示室では、「佐渡金山絵巻」に描かれた江戸時代の佐渡金山の仕事を再現。採掘から製錬、小判に加工されるまでの過程を、500体の精密な人形や模型でわかりやすく紹介しています。
第2展示室では、金の延べ棒を箱から取り出す挑戦ができます。時価6000万円、重さはなんと12.5kg!じかに金の延べ棒に触れられる機会は、金山資料館以外ではなかなかありません。見事取り出せれば記念品がもらえるので、ぜひチャレンジしてみてください!
佐渡金山の桜並木は佐渡一の本数を誇り、桜の時期の夜にはライトアップされます。金銀山の開発された独特な建造物の背景と、華やかな夜桜のコラボレーションはなんとも幻想的。一見の価値ありです。
400年間稼働した佐渡金山は、金を求める人々の思いの強さを目の当たりにできる貴重な史跡。間近で見る道遊の割戸はまさに圧巻です。写真では伝わらない圧倒的なスケールを、ぜひ実際に訪れて感じてみてください。