2016年06月23日

文豪ゆかりの地|堀辰雄ゆかりの地 軽井沢(長野県) 毎年のように訪れ、最期を過ごした心のふるさと

昭和初期に活躍した作家であり、最近は宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモチーフとなった作品の著者としても注目されている堀辰雄。生まれ育ちは東京の下町でしたが、後年は「風立ちぬ」をはじめ、数々の作品の舞台となった軽井沢(長野県)を毎年のように訪れるほど、こよなく愛し、この地で最期を迎えたのでした。


昭和初期に活躍した作家であり、最近は宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモチーフとなった作品の著者としても注目されている堀辰雄。生まれ育ちは東京の下町でしたが、後年は「風立ちぬ」をはじめ、数々の作品の舞台となった軽井沢をこよなく愛し、この地で最期を迎えたのでした。

軽井沢との出会い、母との別れ

明治37年、東京生まれ。少々複雑な出生だった堀辰雄は、2歳の時に実母と現在の東京都墨田区向島へ移ります。数学者を志していた堀は、旧制第一高等学校理科乙類へ入学すると、終生の友人となった後の作家・神西 清(じんざい きよし)の影響で文学に開眼。在学中の大正12年8月に室生犀星とともに初めて軽井沢を訪ね、その魅力に心を奪われます。しかし、直後となる9月1日、関東大震災によって最愛の母を失い、大きなショックを受けます。その後、芥川龍之介を紹介され、指導を受ける幸運を得るも、冬には肋膜炎に倒れ、休学を余儀なくされました。堀は当時19歳。この波乱の1年は、その後の作風に大きく影響しているといわれます。

数々の名作を生んだ夏の軽井沢

その後、東京に居を構えながらも、折に触れて軽井沢へ滞在した堀辰雄。軽井沢が舞台となった処女作「ルウベンスの偽画」は、大正14年夏、芥川や室生、萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)らと過ごした軽井沢滞在の思い出がテーマとなっています。昭和8年夏にも軽井沢に滞在。この時「美しい村」に登場し、「風立ちぬ」のヒロインとなった「節子」のモデル、矢野綾子と出会ったのです。婚約まで交わした綾子を結核のために失った後も、軽井沢にある川端康成の別荘を借りて「風立ちぬ」の終章を書き上げたり、昭和13年には軽井沢で知り合った加藤多恵と結婚したりと軽井沢との縁は続いていたものの、本格的に軽井沢へ移住したのは昭和19年、40歳になってからのことでした。

終の棲家と隣接する「堀辰雄文学記念館」

画像提供:堀辰雄文学記念館

 

画像提供:堀辰雄文学記念館

 

画像提供:堀辰雄文学記念館

 

堀辰雄が作中で“O村”と呼びこよなく愛した、信濃追分(しなのおいわけ)には、直筆原稿、書簡、初版本、遺品、初出誌、写真、書画、蔵書3,500冊などを収めた「堀辰雄文学記念館」があります。貴重な資料に加え、堀が最期を過ごした家の様子も外からガラス戸越しに見学することができます。

【堀辰雄文学記念館】
住所:長野県北佐久郡軽井沢町大字追分662
営業時間:9:00~17:00
休日:水曜日(水曜日が祝日の場合は開館)、年末年始(12/28~1/4)
※7月15日~10月31日は無休
入場料:大人400円、子ども200円(追分宿郷土館と共通)

軽井沢ゆかりのさまざまな文豪を巡れる「軽井沢高原文庫」

画像提供:軽井沢高原文庫

 

堀辰雄文学記念館から車で10分ほどのところにある「軽井沢高原文庫」は、軽井沢ゆかりの文学者の資料を展示している文学館です。その展示品は自筆原稿や書簡などにとどまらず、敷地内には堀辰雄が昭和16~19の夏を過ごした1412番山荘、有島武郎(ありしま たけお)の別荘や野上弥生子の書斎が移築されています。

【軽井沢高原文庫】
住所:長野県北佐久郡軽井沢町塩沢湖202-3
営業時間:9:00~17:00
休日(年度によって変更):
7/19~22、10/11~13は展示替え休館、12~2月は冬季休館(2016年度)
入場料:大人〔高校生以上〕700円、小人〔小中学生〕300円

堀辰雄は終戦近くに軽井沢へ移り、戦後は病気のため思うように作品を残せないまま、昭和28年48歳で亡くなりました。一方、妻の多恵(堀多恵子)は96歳まで永らえ、堀辰雄に関する随筆を多く残しています。堀辰雄自身の作品はもちろん、この随筆も読んだ上で訪れる軽井沢や堀辰雄の足跡は、旅にまた違った印象を残してくれるのではないでしょうか。

※掲載されている情報は平成28年5月現在のものです。