昭和初期に活躍した作家であり、最近は宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモチーフとなった作品の著者としても注目されている堀辰雄。生まれ育ちは東京の下町でしたが、後年は「風立ちぬ」をはじめ、数々の作品の舞台となった軽井沢をこよなく愛し、この地で最期を迎えたのでした。
2016年06月23日
昭和初期に活躍した作家であり、最近は宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモチーフとなった作品の著者としても注目されている堀辰雄。生まれ育ちは東京の下町でしたが、後年は「風立ちぬ」をはじめ、数々の作品の舞台となった軽井沢(長野県)を毎年のように訪れるほど、こよなく愛し、この地で最期を迎えたのでした。
昭和初期に活躍した作家であり、最近は宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」のモチーフとなった作品の著者としても注目されている堀辰雄。生まれ育ちは東京の下町でしたが、後年は「風立ちぬ」をはじめ、数々の作品の舞台となった軽井沢をこよなく愛し、この地で最期を迎えたのでした。
その後、東京に居を構えながらも、折に触れて軽井沢へ滞在した堀辰雄。軽井沢が舞台となった処女作「ルウベンスの偽画」は、大正14年夏、芥川や室生、萩原朔太郎(はぎわら さくたろう)らと過ごした軽井沢滞在の思い出がテーマとなっています。昭和8年夏にも軽井沢に滞在。この時「美しい村」に登場し、「風立ちぬ」のヒロインとなった「節子」のモデル、矢野綾子と出会ったのです。婚約まで交わした綾子を結核のために失った後も、軽井沢にある川端康成の別荘を借りて「風立ちぬ」の終章を書き上げたり、昭和13年には軽井沢で知り合った加藤多恵と結婚したりと軽井沢との縁は続いていたものの、本格的に軽井沢へ移住したのは昭和19年、40歳になってからのことでした。
画像提供:堀辰雄文学記念館
画像提供:堀辰雄文学記念館
堀辰雄が作中で“O村”と呼びこよなく愛した、信濃追分(しなのおいわけ)には、直筆原稿、書簡、初版本、遺品、初出誌、写真、書画、蔵書3,500冊などを収めた「堀辰雄文学記念館」があります。貴重な資料に加え、堀が最期を過ごした家の様子も外からガラス戸越しに見学することができます。
画像提供:軽井沢高原文庫
堀辰雄文学記念館から車で10分ほどのところにある「軽井沢高原文庫」は、軽井沢ゆかりの文学者の資料を展示している文学館です。その展示品は自筆原稿や書簡などにとどまらず、敷地内には堀辰雄が昭和16~19の夏を過ごした1412番山荘、有島武郎(ありしま たけお)の別荘や野上弥生子の書斎が移築されています。
堀辰雄は終戦近くに軽井沢へ移り、戦後は病気のため思うように作品を残せないまま、昭和28年48歳で亡くなりました。一方、妻の多恵(堀多恵子)は96歳まで永らえ、堀辰雄に関する随筆を多く残しています。堀辰雄自身の作品はもちろん、この随筆も読んだ上で訪れる軽井沢や堀辰雄の足跡は、旅にまた違った印象を残してくれるのではないでしょうか。
※掲載されている情報は平成28年5月現在のものです。
画像提供:堀辰雄文学記念館