2016年01月15日
中尊寺など、平安時代末期の寺院や遺跡が多くのこる平泉。今回ご紹介するコースは半日でもまわれますが、じっくり見ると一日かかるほど魅力的な場所です。平成23年にはユネスコの世界遺産リストに登録され、浄土を表した景観がのこる町には、多くの観光客が訪れるようになりました。
平安時代末期の寺院や遺跡が多くのこる平泉。今回ご紹介するコースは半日でもまわれますが、じっくり見ると一日かかるほど魅力的な場所です。平成23年にはユネスコの世界遺産リストに登録され、多くの観光客が訪れるようになりました。
平泉の成り立ちを学びながら、世界遺産を堪能するコースです。 歴史や文化遺産、奥州藤原氏の盛衰を学ぶ資料館に立ち寄り、2つの世界遺産をめぐります。
(画像は中尊寺 金色堂)
平泉は古くからある地名で、衣川(ころもがわ)・北上川(きたかみがわ)・磐井川(いわいがわ)などに囲まれたあたりを指します。この地域一帯は平安時代後期から約90年の間、豪族・藤原清衡(ふじわらのきよひら)をはじめとした奥州藤原氏らが治めていました。
平安時代末期は戦乱や災害が多く発生し、人々の間には末法思想など、世の中に対する悲観的な価値観がひろがっていました。
清衡は、敵味方や貧富の差なく極楽往生で救われ、またこの国土を浄土に近づけていこうとする「浄土思想」に基づいて、中尊寺を建立したとされています。
平泉の遺跡群は、仏教思想に基づいて建築・都市計画・景観デザインがなされています。これらが「人類の価値の重要な交流を示すもの」と評価され、平成23年にユネスコの世界遺産に登録されました。
構成資産は中尊寺・毛越寺(もうつうじ)・観自在王院跡(かんじざいおういんあと)・無量光院跡(むりょうこういんあと)・金鶏山(きんけいさん) の5つです。
画像提供:平泉文化遺産センター
藤原氏三代・秀衡(ひでひら)が造営した無量光院は、京都の宇治平等院・鳳凰堂(ほうおうどう)を模しています。平泉の猫間が淵(ねこまがふち)と束稲山(たばしねやま)を、それぞれ宇治川と宇治の朝日山に見立てています。
寺院と背景にある金鶏山の尾根に沈む夕日が重なりあって、まさに極楽浄土のような荘厳な眺めだったのではないでしょうか。
源義経は兄・頼朝(よりとも)に追われ、少年期を過ごしたこの地に居を構えました。文治(ぶんじ)5年(1189年)、急襲にあった義経が妻子とともに自害したとされるのがこの場所です。義経堂の中には義経の木像が安置されています。
高館からの眺望は平泉随一。東には北上川、束稲山が見え、西には衣川が北上川に合流するあたりが一望できます。
写真提供:中尊寺
嘉祥(かしょう)3年(850年)、中尊寺は比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。そして12世紀に、藤原清衡による伽藍(がらん)造営によって寺観が整いました。
当時の中尊寺の建造物は火災のためほとんど消失していますが、金色堂は中尊寺創建当時の姿を伝える貴重な建造物となっています。
金色堂の内外には金箔がはられ、夜光貝の細工(螺鈿・らでん)や漆の蒔絵、彫金をあしらった華麗な装飾が施されています。須弥壇(しゅみだん)には藤原氏四代の遺体が安置されています。
柳之御所遺跡は、奥州藤原氏の拠点「平泉館」の跡と考えられています。柳之御所資料館では、その敷地から出土した陶器や土器など、貴重な遺物が多く展示されています。
「平泉の文化遺産」をパネルや映像などでわかりやすく解説している施設です。散策の最後に立ち寄って、奥州藤原氏の歴史を年表で振り返るのもいいですね。
この世に理想世界(浄土)を表現した平泉。のどかな風景の中、平安の工芸技術の粋を集めた建造物群を鑑賞できる貴重なエリアです。 当時の極楽浄土へのあこがれを間近に感じながら、時間をとってゆったり散策してみてください。
※掲載されている情報は平成28年1月現在のものです。
写真提供:中尊寺