2018年12月13日

世界遺産|長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産(長崎県・熊本県)

長崎県各地と熊本県天草地方には、江戸幕府によるキリスト教禁止令下の時代、ひそかに信仰を続けた人々の歴史を伝える建造物や集落跡が残されています。12の構成遺産は、離島を含む8市町村に分散しています。今回は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についてご紹介します。


画像提供:ながさき旅ネット※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

 

長崎県各地と熊本県天草地方には、江戸幕府によるキリスト教禁止令下の時代、ひそかに信仰を続けた人々の歴史を伝える建造物や集落跡が残されています。今回は、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」についてご紹介します。

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン」とは

日本全国にキリスト教禁止令が出されたのは1614年のことでした。(※長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産より)
1637年にキリシタンの農民による大規模一揆「島原・天草一揆(島原の乱)」が起こったことでさらに弾圧が強まり、表向きはキリスト教徒に見えない生活をしながらも、水面下でキリスト教の信仰を続ける人々が現れたのです。彼らは後年、学術的に「潜伏キリシタン」と呼ばれるようになりました。

日本各地にいた潜伏キリシタンは徐々に減っていき、そのほとんどが途絶えたとされます。しかし、特にキリスト教信仰が浸透していた長崎と天草地方では、禁止令が解かれるまでの間、ひそかに信仰が伝えられ続けていました。さらに、長い年月のなかで仏教や神道、民俗信仰などと融合し、独自の信仰対象を持つように変化していったのだそう。この当時の様子を伝える12の構成遺産が「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」なのです。

各地に分散している構成遺産

12の構成遺産は、離島を含む8市町村に分散しています。すべて巡ろうとすると何日もかかりますから、見学の際はどの構成遺産を見たいか前もって吟味し、ガイドツアーやモデルコース、交通手段などの下調べをしっかりしておきましょう。ここでは、12の構成遺産を以下のように大きく4つの時代とエリアに分けてご紹介していきます。

● キリシタン潜伏のきっかけ、島原・天草一揆 ● 独特の方法で信仰を実践してきた潜伏キリシタン ● 開拓と移住で共同体を守った潜伏キリシタン ● 潜伏が終わり、その後のキリシタンは……

キリシタン潜伏のきっかけ、島原・天草一揆

まずは、キリシタン潜伏のきっかけとなった島原・天草一揆に関する構成遺産を見ていきましょう。

原城跡(長崎県南島原市)

原城跡

画像提供:ながさき旅ネット

 

原城跡は「島原・天草一揆」の主戦場となった場所です。この一揆を機に鎖国が徹底され、キリシタンが潜伏するようになったとされています。現在はこちらに、一揆を率いた天草四郎こと益田四郎の像や、墓石などが置かれています。

独特の方法で信仰を実践してきた潜伏キリシタン

各地に移住しながら潜伏していたキリシタンは、人目から隠れて信仰を続けるだけでなく、日本の伝統的宗教のように見える独自の形でも信仰を続けていくようになります。次に、2つ目のエリアとして潜伏キリシタンが独自の信仰を実践していたことを示す構成遺産を見ていきましょう。

平戸の聖地と集落(長崎県平戸市)

春日集落と安満岳(やすまんだけ)

画像提供:ながさき旅ネット

 
中江ノ島

画像提供:ながさき旅ネット

 

長崎県北部にある春日集落と安満岳(やすまんだけ)、中江ノ島のキリシタンたちは、キリスト教が伝わる以前から信仰の対象となっていた地元の山や、キリシタンの処刑が行われた島などを拝むようになりました。

天草の崎津集落(熊本県天草市)

この漁村集落に潜伏したキリシタンは、大黒様や恵比寿様をキリスト教の神様のように、またアワビの貝殻の模様を聖母に見立てるなど、身近なものを信心具として代用していました。

外海の出津集落、大野集落(長崎県長崎市)

出津(しつ)教会

画像提供:ながさき旅ネット※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

 
大野教会

画像提供:ながさき旅ネット※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

 

外海(そとめ)地域の出津(しつ)集落では、キリスト教の信心具そのものを隠し持ち続けました。大野集落では、潜伏キリシタンが地元の神社の氏子となり、そこに自分たちの信仰対象をひそかに祀ったとされています。出津教会と大野教会はいずれも、キリスト教禁止令が解禁後、カトリックへ復帰した彼らによって建てられました。

開拓と移住で共同体を守った潜伏キリシタン

信仰を共にする共同体を守るため、開拓を行うなどの名目で離島部へ集団移住した潜伏キリシタンもいました。次に、3つ目のエリアとして潜伏キリシタンたちの開拓と移住の様子を伝える構成遺産を見ていきましょう。

黒島の集落(長崎県佐世保市)

黒島天主堂

画像提供:ながさき旅ネット※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

 

牧場跡の再開発にあたって移住がすすめられていたこの地には、長崎各地から潜伏キリシタンが移り、地元の寺で聖母マリアに擬した観音像「マリア観音」を拝んでいたといいます。解禁後はカトリックへ復帰し、黒島天主堂を建てています。

野崎島、頭ヶ島、久賀島……五島列島の集落

頭ヶ島天主堂

画像提供:ながさき旅ネット※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

 

神社とその氏子のみが住む野崎島、療養地とされ人が訪れない頭ヶ島(かしらがしま)、開拓のため移民を募っていた久賀島(ひさかじま)……など、さまざまな事情から適地と見なされた五島列島の島々には、外海地域の潜伏キリシタンたちが移住し、ひそかに信仰を伝えていきました。この地にもやはり、解禁後に頭ヶ島天主堂などの教会が建てられています。

潜伏が終わり、その後のキリシタンは……

幕末には鎖国が解かれ、明治維新を経て禁止令も解かれることになります。各地の潜伏キリシタンのなかにはカトリックに復帰する人々もいましたが、長年の潜伏期を経て変容した独自の信仰を続ける人々もいました。彼らは学術上、「カクレキリシタン」と呼ばれています。最後にキリシタンの潜伏終了や、その後に関わる構成遺産を見ていきましょう。

大浦天主堂(長崎県長崎市)

大浦天主堂

画像提供:ながさき旅ネット※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

 

鎖国が解かれ、来日した宣教師と潜伏キリシタンが出会って“潜伏”が終わるきっかけとなったのがこの教会でした。

奈留島の江上集落(長崎県五島市)

江上天主堂

画像提供:ながさき旅ネット※写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可をいただいています。

 

奈留島(なるしま)の潜伏キリシタンのうち、カトリックへ復帰した人々が建てた江上天主堂。現在の建物は1918年に建てられたもので、日本の代表的な木造教会のひとつに数えられています。

見学の際は下調べと事前連絡をしっかりと

教会堂は、世界文化遺産として守られる場所であると同時に、厳粛な雰囲気のなかで祈る場所です。
事前に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(長崎ながさきの教会群インフォメーションセンター)へ連絡しておき、また見学のマナーについても確認しましょう。12の構成遺産のうち、9カ所は事前予約が必要です。
※大浦天主堂の見学については、事前連絡は必要ありません。

潜伏キリシタンについては「隠し持ったキリスト教の信心具を一心に拝む」といったイメージを持っていた方も多いかもしれません。いつもの旅とは少し趣が異なりますが、信仰を伝えつつも、各地で独自の文化を形作っていった彼らの生き方に触れ、往時に思いをはせる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産インフォメーションセンター(長崎の教会群インフォメーションセンター)
所在地:長崎県長崎市出島町1-1-205(出島ワーフ2F)
電話番号:095-823-7650
対応時間:9:30~17:30
URL:http://kyoukaigun.jp/

※掲載されている情報は平成30年10月現在のものです。