2017年07月31日
日本の夏の風物詩といえば、外せないのが花火!色とりどりの浴衣に、立ち並ぶ露店、お腹に響く大迫力の音……日本の花火は精巧で美しく、世界80余カ国に輸出されています。花火は日本が世界に誇る技術・文化ですが、その由来についてはあまり知られていません。今回は花火や花火大会の由来、あの掛け声の起源についてご紹介します。
日本の夏の風景といえば、外せないのが花火!色とりどりの浴衣に、立ち並ぶ露店、お腹に響く大迫力の音……日本の花火は精巧で美しく、世界80余カ国に輸出されています。花火は日本が世界に誇る技術・文化ですが、その由来についてはあまり知られていません。今回は花火や花火大会の由来、あの掛け声の起源についてご紹介します。
諸説ありますが、日本で花火を初めて見たのは徳川家康だという説が有名です。イギリス人が家康公に謁見した慶長18年(1613年)に、筒から火花が吹き出すもの(花火)を見たという記録があります。これ以降、花火は諸大名へ、そして町民へと急速に広がり、特に新しいものが大好きな江戸っ子に大受けし、花火を専門に作る花火師も登場したのだそう。当時の花火の流行は大変なもので、江戸では花火が原因の火災が何度も発生。ついには江戸幕府によって花火禁止令が出されるほどの加熱ぶりでした。
花火にはもともと慰霊や供養の役割があると考えられており、例えば日本最古の花火大会も慰霊のために行われています。享保 16 年(1732年)、江戸では大規模な飢饉が起こり、さらには疫病まで流行して多くの犠牲者を出しました。そこで翌年、将軍徳川吉宗は隅田川で花火を打ち上げて、慰霊と悪病退散を祈願した祭りを行います。この時の祭りが「両国の川開き(=隅田川の川開き)」となり、今も続く隅田川花火大会へと変化しました。
故人を偲ぶ時期といえばお盆。迎え火に送り火と、お盆には灯り、つまり火の明かりが欠かせません。京都の大文字焼きはお盆の送り火としての祭事であることはよく知られていますが、花火大会にも同様の意味合いがあるため、お盆周辺で行われることが多いのです。
夜空に大輪の花火が咲く時、「たまやー!」「かぎやー!」と叫んだことがある方や、この掛け声を聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。この掛け声は何を意味するのかご存じですか?実はこれ、江戸時代の花火師の屋号なのです。
花火が大流行した江戸の町で大変有名だったのが「鍵屋」で、前述の「両国の川開き」でも花火師を務めていました。「玉屋」が登場したのは、鍵屋七代目の時代です。当時の鍵屋の番頭は大変に優秀だったため、当主から独立を許されます。その番頭が始めた花火師の屋号が「玉屋」です。
「両国の川開き」では橋を挟んで上流が玉屋、下流を鍵屋が受け持って共演することとなり、双方への声援「たまやー!」「かぎやー!」が、今も残る掛け声の由来となりました。
三重県熊野市で開催される「熊野大花火大会」は300年余りの歴史があり、お盆の初精霊供養に花火を打ち上げ、その火の粉で灯籠焼(初盆で使用した灯籠を焼くこと)を行ったことが起源とされています。
今も大会プログラムのなかに初盆を迎えた家々の灯籠焼きがあり、遺族による追善供養の打ち上げ花火では打ち上げ前に故人を偲ぶ挨拶があります。初精霊供養の要素が色濃く残っている、「花火」本来の意味を伝える花火大会といえるでしょう。
また、迫力ある花火の演出も有名です。走る2隻の船から点火した花火を海に投げ入れ、次々に半円状の花火が開いていく「海上自爆」、鉄骨製のイカダに載せた三尺玉をそのまま爆発させる「三尺玉海上自爆」など、約10,000発の花火が打ち上げられます。
華麗に咲いて、一瞬で夜空に消えていく花火。その美しさには、故人を偲ぶ人々の想いも込められています。違った視点が増えると、毎年の花火大会も趣がさらに深まるのではないでしょうか。よく行かれる花火大会の由縁を調べてから鑑賞すると、よりいっそう楽しめるかもしれませんよ。
※掲載されている情報は平成29年6月現在のものです。