2019年02月08日

語源・由来|「おやつ/四六時中」 時間を語源とした言葉

1日が24時間なのは今では当たり前のことですが、実はこの時刻制度になったのは、約150年前のこと。明治6年(1873年)1月1日に国の暦が太陽暦に変わり、時刻制度も現在と同じものになったのです。しかし、明治5年12月2日までは太陰太陽暦が使われ、時刻は不定時法というまったく違う制度が使われていました。今回はその、昔の時刻制度に由来をもつ「おやつ」と「四六時中」の二つの言葉をご紹介します。


1日が24時間なのは今では当たり前のことですが、実はこの時刻制度になったのは、約150年前のこと。明治6年(1873年)1月1日に国の暦が太陽暦に変わり、時刻制度も現在と同じものになったのです。しかし、明治5年12月2日までは太陰太陽暦が使われ、時刻は不定時法というまったく違う制度が使われていました。今回はその、昔の時刻制度に由来をもつ言葉をご紹介します。

江戸時代の「昼八つ」からきた言葉 「おやつ」

 

「おやつ」という言葉を聞くと思わず頬が緩みますよね。お菓子や軽食をとりながらのひと休みは、心がほっとするひとときです。

主に、午後3時ごろに摂る間食のことを「おやつ」といいます。現代では、時間に限らず、間食やお菓子をさして「おやつ」といっていますが、どうして間食のことを「おやつ」というようになったのでしょう。

おやつという言葉ができたきっかけは、江戸時代の時間の区分で、今の午後2時から午後4時ごろにあたる時間を「八つ」もしくは「昼八つ」といったことからきています(江戸の時刻制度について詳しくは、後段の「四六時中」で解説します)。江戸時代の中期ごろまで、食事は1日に2食が基本でしたから、八つ刻に間食をとることで、体力を持続させていたのです。そのため、この時間の間食が「お八つ」と呼ばれるようになり、次第に、時間を問わず間食のことを「おやつ」というようになったといいます。ちなみに、おやつのことを「お三時」ともいいますが、まさに「お八つ」の現代時刻版にあたる言葉ですね。

江戸の後期以降、日本人は1日に3食とるようになりますから、間食の必要性も、1日2食の時代とはだいぶ変わったといえます。それでも、おやつは小腹を満たすエネルギー補給としての役割だけでなく、肩の力を抜ける気分転換の時間として、私たちに欠かせないものとなっています。また同時に、「おやつ」という言葉はどこかノスタルジーも感じさせてくれます。子どもの時からいくつになっても、おやつの時間の楽しみは変わらないのではないでしょうか。

二十四時間を表す言葉 「四六時中」

 

「彼は四六時中、新しいアイデアを考えている」などと使う「四六時中」。「一日中」という意味の言葉で、そこから転じて、いつも、しじゅう、年中といった意味でも使われます。実はこの言葉、もともとは「二六時中」という言葉だったのをご存じですか。

この言葉は江戸時代の時刻表記に由来があります。現代は1日を24に区切った時刻を使っていますが、江戸時代は下の図のように12に区切られ、それぞれに干支が割り振られていました。今でいう0時ごろが「子(ね)の刻」、お昼の12時ごろが「午(うま)の刻」にあたります。時刻は数によっても表されました。子の刻、午の刻が九つにあたり、そこから八つ、七つ、六つ、五つ、四つまでくだって、また九つに戻ります。

 

こうした時刻制度だったため、二六時中は2×6=12で、12刻、つまり1日中を意味したのです。明治に入ると、1日を24時間で区切る現代と同じ時刻制度へと変わりました。それに合わせて、4×6=24であることから、二六時中を四六時中と変えたのです。制度の変更に合わせて言葉も変わったおもしろい例です。

江戸時代の時刻には、もうひとつ、現代とは大きく違う特徴がありました。それは日の出と日没を基準とする「不定時法」だったこと。日の出のおよそ30分前を明け六つ、日没のおよそ30分後を暮れ六つとして、その間を6等分したのです。つまり、一刻の長さが、季節によって昼と夜とで変わるということ。日の長い夏は、日中の一刻が長く、夜の一刻は短くなり、日の短い冬はその逆になるのです。

サマータイムの導入が繰り返し検討されますが、なかなか実施には至らない現代。日の出と日没に合わせて生活していた時代のおおらかさや賢明さが羨ましいような気もします。時には季節と太陽のリズムに合わせて就寝や起床の時間を変えて過ごしてみたいもの。江戸時代の生活に思いをはせつつ、自然の周期に敏感になることは、体や心を整えることにつながるかもしれません。