2018年08月17日

語源・由来|「青二才」「一か八か」 色と数字に込められた意味

「青二才」や「一か八か」など、色や数字を使った言葉はたくさんありますが、おもしろいのは色や数が、必ずしもその原義どおりの意味ではなく、別の意味を表すようになっていくこと。昔の日本人は、色や数にどんなイメージを加えていったのでしょうか。語源を辿って日本の歴史や文化を紐解いてみましょう。


色や数字を使った言葉はたくさんありますが、おもしろいのは色や数が、必ずしもその原義どおりの意味ではなく、別の意味を表すようになっていくこと。昔の日本人は、色や数にどんなイメージを加えていったのでしょうか。語源を辿って日本の歴史や文化を紐解いてみましょう。

未熟さを表す色「青二才」

 

青二才は、経験の浅い年若い男性を指す言葉。相手をののしったり、嘲(あざけ)るときに使われるほか、「何分、青二才ですので」など謙遜するときにも使います。青は、色を表す言葉ですが、同時に年が若く、未熟な者を指すときにも使う接頭語。「青臭い」といえば、世間の実情をよく知らず、未熟なことをいいます。

緑色の菜のことを「青菜」、緑の田を「青田」などというように、日本では緑のことも青といいます。これは、日本では古代、色を表す言葉は「赤、青、白、黒」の4種類しかなく、緑色のものも「青」と呼ぶ習慣があったためです。「青」という色には、そもそもはっきりしない「漠」とした色を指していた背景もありました。さらには、芽吹いたばかりの「緑」のイメージがあり、それが未熟さ、若々しさを表す言葉につながっているのかもしれません。

青二才の「二才」のほうは、どのような意味があるのでしょうか。これには大きく二つの説があります。

ひとつは、「出世魚」から来たという説。出世魚は成長につれて呼び名が変わります。例えば、ボラは1年目ではオボコ、スバシリ、イナ、と名を変え、2年目はボラ、さらに大きくなるとトドと名を変えます。この2年目の魚、つまり、さらに成長した魚になる手前の段階の魚を、「二才子」「二才魚」と呼んだのが、青二才の「二才」の語源であるという説です。

もうひとつの説は「新背(にいせ)」という言葉が転訛したという説です。「背(せ)」は古語では「夫、恋人(男性)、兄弟」など親しい男性を呼ぶ言葉です。この「背」に「新」をつけた「新背」は青年のこと。また、青年団に入る新顔のことを「新背」と呼んだともいわれます。この「にいせ」がなまって、二才になったというのです。

今はほとんど使われなくなりましたが「青二才」と同じ意味で、「毛才六(けざいろく)」という言葉がありました。「や、ちょこざいな毛才六(浄瑠璃・油地獄のせりふ)」などと使われます。ここにも「六」という数字が見えますね。この「六」は「宿六」「甚六」などにも見られ、役にたたない者に対してつけられた数字だったようです。

かけごとから生まれた言葉「一か八か」

 

「一か八か」は結果はどうなろうが、運を天に任せて勝負を試みるという意味の慣用句です。かけごとから生まれた言葉といいますが、サイコロを使ったかけごとで「一か六か」ならイメージできますが、「八」はどこから発生した言葉なのでしょう?

いくつか説がありますが、有力なものは、サイコロを使ったかけごとの言い回しである「丁か半か」の「丁」と「半」それぞれの上部をとったもの、という説です。漢字の一部分を数字に言い換えるとは、考えたものです。ほかにも、同じくかけごとにおいていわれる「一か罰か」(サイコロで1が出て成功するか、失敗するか)を語源とする説。また、かるたを使ったかけごとが語源という説もあります。これは三枚の札を引き、合計点数の末尾一桁の数字で勝負するかけごとで、9が最高点。2枚引いて手元の合計点が9になっているが、ルール上、もう1枚引かなければならないとき、出てくる札が点数に関係ない「釈迦の十」という札であることを祈って、「一か八か釈迦十か」というセリフが生まれたらしく、これが「一か八か」の語源とする説もあります。

かけごとが語源となった数字の入った言葉には、ほかにも「三下」があります。かけごとをする者たちの中で、下っ端の者を指して「三下奴(さんしたやっこ)」といい、この略語が「三下」です。またかけごとをしていなくても、とるに足らない者を「三下」といいました。サイコロの目が三以下だと勝てる見込みがないことから、生まれた言葉だといいます。

今回は、色や数字にさまざまな意味が込められた言葉の数々をご紹介しました。ほかにも色や数字の入った言葉は多いはず。見つけたら、ぜひ語源を辿って、言葉のおもしろさに出会ってみてください。