2017年11月09日

語源・由来|「当たり前」「奥ゆかしい」 言葉の変遷をたどる旅

海を渡ってきた言葉や、日本で昔から使われてきた言葉まで、現代に生き残る日本語のひとつひとつには思いがけない由来があるもの。今回は元をたどると漢語にいきつく「当たり前」と、源氏物語にも見られる「奥ゆかしい」のふたつの語源を探ります。


海を渡ってきた言葉や、日本で昔から使われてきた言葉まで、現代に生き残る日本語のひとつひとつには思いがけない由来があるもの。今回は元をたどると漢語にいきつく「当たり前」と、源氏物語にも見られる「奥ゆかしい」のふたつの語源を探ります。

「当たり前」

 

「当たり前」という言葉は、中国から伝わり、日本語として定着した漢語「当然」が由来といいます。「当然」に「当前」という字を当て、それを訓読みにして生まれたという説が一般的です。ほかには、漁や狩りなどの共同作業で一人当たりに分配される取り分を「当たり前」といい、分配分を受け取るのは当然だとして「当然」の意味を持つようになった、という説もあります。いずれにしても、「当然」という言葉とは切っても切り離せない関係です。

あらためて「当たり前」という言葉を紐解くと、「誰がどう考えてもそうあるべきだと思うこと、当然なこと」という意味で使われます。「当然」から生まれたことを思えば、ふたつの言葉は全く同じ意味であるかのよう。ですが、ひとつ、大きな違いがあるのです。
それは、「当たり前」はもうひとつ、「普通と変わっていないこと、ありふれていること、世間なみ」という意味を持つということ。「自分は当たり前の人間だ」とか「商売は当たり前にやっていたのでは成功しない」といった文で使われますが、これは「当然」にはない意味です。
漢語由来、当て字の訓読みから生まれた言葉は、違う意味も宿して、日本では日常会話に欠かせない言葉となっているのですね。

「奥ゆかしい」

 

奥ゆかしいという言葉には、「深みと品位があって、心がひかれる。深い心遣いが感じられて慕わしい。こまやかな心配りがみえて、ひきつけられる」という意味と、もうひとつ「心がひかれて、もっと見たい、聞きたい、知りたいと思う」という意味があります。

前者の意味で使われているのは、平安時代の文学を代表する『源氏物語』の中の「なかなかなまめかしう おくゆかしう 思ひやられ給(たま)ふ<賢木>」という一文。ここでの「おくゆかしう」は、洗練されていて上品だ、の意味で使われています。現代でも、「奥ゆかしいところがある人」といった使い方をしますね。

一方、後者の意味で使われているのは、平安時代の歴史物語『大鏡』に登場する「いつしか聞かまほしく、おくゆかしき心地するに(序)」という一文。「もっとよく知りたいと思う」の意味で使われています。現代では「奥ゆかしい」を「もっと知りたい」の意味で使うことはあまりありませんが、実は語源に近い使い方なのはこちらのほうなのです。

そもそも「ゆく」とは「行く」、これが形容詞形となったのが「ゆかし(行かし)」。つまり「ゆかし=行きたい」ということ。「奥ゆかしい」は一言でいえば「奥まで行きたい」ということであり、「心がひかれて、その先が、知りたい、見たい、聞きたい」、「奥の方へ心が誘われる」という気持ちを表現する言葉なのです。
「奥ゆかしい」という言葉には、見えない奥に深みを感じて心ひかれる、日本人の感性がよく表れているよう。日本語の美しさやおもしろさを教えてくれる言葉のひとつといえるのではないでしょうか。

ちなみに「ゆかし」だけでも、知りたい・見たい・聞きたい、または心ひかれる、という意味を持ちます。松尾芭蕉の有名な俳句に「山路来て何やらゆかしすみれ草」という一句がありますが、この「ゆかし」も「心ひかれる」という意味で使われています。

「奥ゆかしい」は「もっと知りたい」という意味から、今では「上品で、深い心遣い、こまやかな心配りがみえて慕わしい人」と、相手の感じのよさを表現する言葉として使われています。「当たり前」は「当然」の意味合いで使われる強いニュアンスの言葉ですが「世間並」という意味合いにも使われるようになっていったのが、おもしろいところです。
言葉は人々の生活のなかで生きて、変わっていくもの。言葉の語源と変遷をたどる旅は興味が尽きませんね。