付け加える必要のないものを「蛇足」といいますが、知っているつもりの言葉でも、いらない一文字を加えていることがあるかもしれません。今回は、漢字一文字で間違ってしまう日本語をご紹介します。
2019年05月24日
付け加える必要のないものを「蛇足」といいますが、知っているつもりの言葉でも、いらない一文字を加えていることがあるかもしれません。今回は、漢字一文字で間違ってしまう、「存亡の機」と「足をすくわれる」の二つの日本語をご紹介します。
付け加える必要のないものを「蛇足」といいますが、知っているつもりの言葉でも、いらない一文字を加えていることがあるかもしれません。今回は、漢字一文字で間違ってしまう日本語をご紹介します。
「存在と滅亡」を表した言葉、「存亡」について、まずはこの言葉の使い方のクイズです。
「存亡の機(き)」は、古代中国の戦国時代、遊説家の弁論や逸話をまとめた書物『戦国策』に出てくる言葉です。「機」には、「機を見る」などというように機会、時機といった意味があります。また物事の大事なところ、かなめ、といった意味もあります。「危機」という言葉は「極めて危ない状態」のことに限定されます。しかし「存亡」という場合、「存」の可能性もあるわけですから、存亡の機は、生き残るか、滅亡するかの「かなめ」や重大な「時機」を指すものとして、「機」を使うのが本来とされます。
とはいえ、「存亡の危機」も文脈に即していれば日本語として不自然ではなく、間違っているとはいい切れません。ただし、本来のいい方は知っておいたほうが良いでしょう。
「存亡の機」と同意の言葉に、「存亡の秋」があります。この「秋」は「とき」と読むのが正解。こちらは中国の三国時代、諸葛亮が蜀の皇帝に奏上した前出師表に記されている「危急存亡之秋」が基になっています。こちらの「秋(とき)」も「重大な時期」を指す言葉。同様の使い方をした言葉に、事件や問題が多く起こっている時期や、国家や社会が不安定な時のことをいう「多事之秋(たじのとき)」があります。「存亡の機」の本来のいい方とともに、「秋(とき)」の読み方もぜひ合わせて覚えておいてください。
柔道や相撲などの技に、「足払い」があります。足や手で相手の足を払って重心を崩し、体を倒す技ですが、タイミングが合うと見事にスパッと決まります。このように、人は思いがけず片足の支えを失い、攻撃を受けると、たちどころに体を崩されてしまうものだということがよくわかります。
今回は、この「足払い」にまつわる慣用句からクイズです。
「足もと(足下・足元)をすくわれる」は慣用句としては間違いといわれているのですが、その理由としては、すくわれるのは足もとではなく、足であるからだといわれています。「足もと」を「足が地についている場所」と定義すれば、たしかに、すくうのは無理ですね。しかし、「足もと」には「足の下部」の意味もありますから、足もとをすくうといういい方は絶対に間違いだとはいい切れません。また、「足もとを見る」「足もとに付け込む」という慣用句もあるように、「足もと」は「弱点」を想起させる言葉です。こうした影響もあって、「足もとをすくわれる」といういい方を多くの人が使うようになっていったのではないでしょうか。
格闘技でもしていない限り、足のすくい技をかけられる体験はなかなかできるものではありませんが、支えを不意に失って倒される感覚というのは不思議と想像できるものです。「足をすくわれる」が「すきをつかれて失敗させられる」意味として誰にでも通じる慣用句になっていったのは日本語のおもしろいところですね。